『桜内義之――いつ頃か私たちの前に現れて私のお兄ちゃんになった人。
鈍感ででも、優しくて、いつもみんなの事を気にしていて私の大好きな男の子(ひと)――』

『――小学校の運動会の時に風見学園に通うようになって忙しいお姉ちゃんの代わりにお弁当を作ったりしてくれた男の子――』

『……………………』

『……………………』

過去にあった私と兄さんの記憶が永遠と綴られているノート――
大切なあの人が消えてしまってから始めた私の日課――
今日も書かなきゃ…帰ってくると信じて――

このノートは日記ではない。というよりかったるい症の私が日記を書くわけがない。

このノートは私の記憶――もとい兄さんとの思い出。
初めは今までの事を書き出すために書いていたこのノートが、一週間二週間経つ内に記憶の薄れていく私と兄さんの思い出を書くようになっていた。そして書く量は日に日に増えていっている。
それは、私の中の兄さんが消えかかっている証拠。
一昨日は14ページ、昨日は16ページ、今日は何ページ書かないと思いが消えずにすむのだろう。
兄さんの存在を辛うじてでも覚えているのは、私と桜の木を枯らしたお姉ちゃんこの二人だけだろう。
兄さんが消えそうになっても、もう私は泣かない。
だって、辛いのは私だけじゃない。兄さんの存在が分かるお姉ちゃんだって辛いと思う。
きっとさくらさんだって…だから私は泣かない。
強くなって兄さんが帰ってきたときに、
「お帰り」
って言ってあげるんだ。
その為に今は信じていないと、
兄さんが必ず帰ってくると――




『――彼は、お母さんが病弱になった頃にさくらさんに連れられてきた。
そしてさくらさんはこう言った。

「この子は桜内義之くん。
ボクの親戚の子で預かる事になったけど、ボクは仕事でほとんど家にいないから、お兄ちゃんに代わりに預かってもらう事になったんだ。
由夢ちゃんも仲良くしてあげてね」と。(この「お兄ちゃん」というのは私たちのおじいちゃんの事である。)
私はお兄ちゃんが欲しかったので、大歓迎だった。

「桜内義之です…よ、よろしく…」
彼は、緊張したような面持ちで言った。
そして、手を差し伸べてきた。
私が、なかなか言葉を発しないから気に入られなかったと思ったのか、手を引っ込めようとした。私は、その手を握って、
「私、由夢。よろしくね、お兄ちゃん♪」
と舌足らずな口調で言った。しかしお姉ちゃんは――そう言えば何処に居たのだろうか?今度聞いておこう。
とにかく、お姉ちゃんはこの場には居なかった。――』

以前より事細かく書かないと、忘れてしまうようになった。
だから私は、覚えてるだけの事を全てノートに書いた。
正直に思うとあのころの私は純粋だった。自分の気持ちに素直だった。
今のお姉ちゃんの性格が私、今の私の性格が……
ううん、少し前の兄さんへの気持ちを認めていなかった頃の私の性格が、当時のお姉ちゃん――という具合に…

「俺は、由夢の事が好きだ――」
突然の兄さんからの告白。嬉しいようで嬉しくない…この時の私は既に――だから

「私と兄さんは兄妹だよ。そんなのムリだよ…」
と言うしかなかった。それでも兄さんは本気らしく、

「そんな事は分かってる。それでも、俺はお前が好きだ」
「――っ…私は…私は兄さんの事が…」
この先を口にしたら、もう今までの関係には戻れない。
それに兄さんは――

「好きです……」
踏み出してしまった。結果は分かっているのに――。
でも、そんな事よりも今、兄さんの事を愛したい気持ちの方が上回っていた。

「ありがとう、由夢。決心してくれて…」
そう言って、兄さんは私を優しく抱きしめてくれた。
私はその優しさに心から触れたいと思った――
これから、ずっと――
どうなるかは分かっていたけれど――
それでも、先の事より今の私が私と兄さんが幸せでいたいと思った。
先の事はその時に考えれば…そんな甘い考えをしていた――

「兄さん…」
兄さんの本気の顔――と言うより冗談でこんな事されたら溜まったもんじゃないけど…
兄さんと一線を越える。
考えた事はある。
それを望んでいたときもあった。
でも、実際そんな雰囲気になってみると何となく怖かった。

「由夢…やっぱり怖いか?」
顔が強ばっていたのか、兄さんが心配そうに私の顔を覗き込んできた。

「ちょっとだけ…ね……やっぱりこういうの初めてだし…」
そう私は素直に答えた。

「痛くない…って言ったら嘘になるけど、なるべく痛くないようにするから…」
「うん…ありがと…」
そして私と兄さんはその一線を越えた――




思い返すと、付き合い出してからの記憶の方が薄れており、昔の幼かった頃の方がまだよく覚えているのだ。
忘れたくない――どちらも忘れたくないのだが…一番大切にしたい記憶の方が消えていく――凄く酷だ。
ノートを見返すと、初めの方は昔の事から書き始めたから当然の如く昔の事ばかりだ。
しかし、ある一時を境につい最近の――兄さんと付き合いだしてからの事が書かれる事が増えた。
ノートはもう6冊目に入ろうとしていた。
今書いているノートを見ると、顔から火が出るくらい恥ずかしい事も事細かく、その時の情景が浮かんでくるように書かれていた。
消えそうな記憶は読み返して思い出す…と言うよりもまた覚える。
そんな事を繰り返していた。
自分がどうなるかなんて考えもせずに――

私が見る夢――それは、この初音島の『魔法の桜の木』によって与えられた能力。それによって見ることの出来る予知夢だった。
それまで外れた事なんて一度もなかった。
だから、兄さんが消えてしまう未来(ゆめ)を見てしまったとき、私は青ざめ、気を失いそうになった。
「なんで兄さんが…どうして…」
殆ど声にもなっていなかった。
しかし今までこの予知夢は外れたことがない。だから、有って欲しくはないけどいつものノートに書き込むことにした。
それが、外れてくれることを願って――

兄さんが消えなくてはいけなくなった原因は、『魔法の桜の木』の暴走。
そしてその桜の木を枯らせなければならない。
お姉ちゃんに事の真実を聞かされて、兄さんが消えてしまう存在なのだと改めて知って、でも私には何もできなかった。
兄さんが消えて居なくなるまでの間片時も兄さんから離れないで居る。できることはそれだけだった。
消えてしまうことを、大分前から知っていたのに何もできない自分が、腹立たしかった。
それでも、最後の最後まで、私は側に居続けた。周りの人が忘れていっても、私は最後まで覚えていた。
それが、兄さんの存在を知っていても何もすることのできない私からの、たったひとつの罪滅ぼしだった。
兄さんは、特に何をするでもなく私に微笑みかけてくれた。本当は凄くしんどいだろうに…。
本当に消えてしまう最後の最後まで笑っていた。

「心配はいらないよ」
そう言っているかのように――

「俺は、元々こういう存在だったんだ…」
消える寸前の兄さんは悟りきっていた。

「だったら俺はこの運命を受け入れる。今までもう十分幸せだった。由夢が側にいてくれて――」
「そんなこと言わないで!私は!?…私はこれから兄さんが居なくてどう生きていけばいいの!?」
「――もう、俺には囚われるな。別の男を見つけて幸せに俺が生きれなかった分も――」
「ムリ!!できないよ…そんなこと……」
さっきから、兄さんの言葉を遮りすぎだ…。もしかしたら、これが最期になるかもしれないのに…

「ムリでも、そうするしかないんだ……由夢が幸せだったら俺も幸せになれる。分かってくれ、由夢」
「できないよ…私…兄さん以外の人なんか考えられないよ…」
「ゆっくりでいい…気持ちの整理ができたら、また今まで通り過ごしていってくれ」
出来るわけがなかった。
私の日常にはいつも兄さんが居たから、その兄さんが居ないと日常が日常でなくなるのである。
日常でないものを日常には出来ない。

「もう、時間みたいだ…ありがとう由夢…由夢の答えは聞けなかったけど、俺は笑って逝ける。
今日まで、側にいてくれてありがとう。幸せに……」
「待っ――」
『待って』と言おうとした時にはもうその言葉を伝える相手は居なかった。

それから、私は三日三晩泣きに泣いた。
声が嗄れ、涙が出なくなり、それでも泣いた。
お姉ちゃんが部屋に簡単なご飯を持ってきてくれたが、身体は、食事を受け付けなかった。
私が学園を休み続けることにお姉ちゃんは何も言わなかった。
ただ、
「早く…元気になってね、由夢ちゃん――」
それから小声で、
「弟くんが消えてしまって辛いかもしれないけど…」
お姉ちゃんだって辛いはずなのに…私と同じように辛いはずなのに、毎日学園にもちゃんと通い、私にこうして気も遣ってくれる…

鏡で三日ぶりに見た自分の顔はとても見れたものじゃなかった。
目は腫れ上がり、髪はボサボサ、ご飯も殆ど食べていないから顔はやせ細っていた。
お姉ちゃんが学園に行く前に、
「お風呂沸かしてあるから、気が向いたら入ってね。もう三日も入ってないから流石にそろそろ入らないと…」
そう、昨日も一昨日もわざわざ、朝早くからお風呂を掃除してくれまたお湯を張ってくれていた。
感謝しなければいけないのに、本当は素直に言うことを聞かないといけないのに
「もうほっといてよ!!お姉ちゃんはお節介すぎだよ!私のこと分かってよ!!」
八つ当たりしていた――

「ご、ごめんなさい……じゃあ学園に行くね…行ってきます」
昨日も同じ事を言った。そしてお姉ちゃんは悪くないのに私に謝る。
納得がいかないけど、今は人の事なんて考えてられなかった。兄さんのことしか考えてられなかった。

お姉ちゃんに言われ続けたし、自分でも流石にお風呂に入らないと行けないと思った。
だから、脱衣所に行った。
何も考えずにただ服を脱いだ。それからお風呂に入った。
お風呂は綺麗だった。いや、綺麗にしてくれたんだ。
ゴメンねお姉ちゃん、それからありがとう。
心の中でそう思った。

お風呂を出て、居間向かった。するとこたつには、ラップに包まれたご飯が置いてあった。
その横には、お姉ちゃんからのメモ書きが置いてあった。

『由夢ちゃんへ
食べたくなったら温めて食べてください。
本当は、一緒に学園を休んででも由夢ちゃんを慰めてあげたいけど、生徒会の仕事が多くて休むことの出来ない姉を許してください。
今日も出来るだけ早く帰るようにするからね。
では、行ってきます。
音姫』

読んでいると、ふと紙が湿っていることに気付いた。
目に手をやると涙が出ていた。
――でも、それだけではなかった。
このメモ書き自体元々湿っていたように感じた。
お姉ちゃんもやっぱり辛いんだ。これを書きながら泣いてたんだ。
辛くても、苦しくても弟のいなくなった新しい日常にしようとする強い姉に憧れの意を持つとともに、恥ずかしい気持ちになった。

私は決意した。
兄さんは、
『別の男を見つけて幸せに――』
と言っていたが私には、こんな意地っ張りの自分のことを好きでいてくれる人なんて兄さんしかいないと思った。
だから、今まで兄さんとあったことを書き記していこうと決めた。
そして、もう泣かないと決めた。
「これが私なりの答えだよ兄さん。私は兄さんが戻ってくるって信じることにしたよ」
私は誰に言うでもなくそう呟いた。





Break Timeに続く…

Yu*H.Aさんから頂きましたD.C.U由夢SS「私と姉とそして…」の前編です。



                                        
私と姉とそして…
〜前編〜
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