夕食を終えて風呂にも入ったが、ルームメイトである白井黒子はまだ帰って来ない。
夕食の前に遅くなるというメールが美琴に着ていた(それだけでなく、お決まりの余計な文が付いていたがそれは省略する)が、
まさかここまで遅いとは美琴にも予想外のことであった。
やはり九月三十日の事件以来自分の周りでも何かが変わっていると実感せざるを得ない。
「することが無い……」
普段なら白井と雑談でも交わしているところだが、その本人がいないのではどうしようも無い。
テレビは全番組先程からずっと同じことの繰り返し。
勉強でもしようかな〜と思ったところで、携帯が目に入った。
(そうだ、あれから大分時間経ったしもう一度電話してみよう)
美琴がそう考え、携帯を手に取ろうとしたまさにその瞬間、着メロが流れ出す。白井かと思ったが、発信者の名前は上条当麻であった。
(え、ウソ!?アイツの方から掛かって来た!?)
つい数時間前に掛けた時は電波が届かないとかで掛けられなかったのに、まさか向こうから掛かって来るとは。
しかも今ちょうどこちらから掛けようかと考えたところで、その相手から掛かって来るというのはちょっとした以心伝心の仲になったなどと考えてしまう。
想定外の出来事にどぎまぎしながらも、美琴は頭をフル回転させてシミュレーションする。
「え、え〜っと、何て言って出ればいいのかしら?『こんばんは』はアレだし、普通に『もしもし?』でいいわよね、うん」
早く取らないと切れてしまうかも知れない。一度深呼吸した後、意を決して美琴は通話ボタンを押した。
『御坂!!』
せっかく考えた「もしもし」と言う前に大きな声で名前を呼ばれた。
相手はもちろん上条だ。
「なっ、何よ」
出鼻を挫かれ、思わずいつものような対応をしてしまう。
『ちょっと聞きたい事があるんだけど、今大丈夫か?』
しかしすぐに大丈夫だと言うと何か負けた気がする。
(き、聞きたいこと?一体何かしら?まさか誰か好きな奴いるか?とか)
いや無い無いと美琴は邪念を追い払う。
「へ、へぇ。それって私じゃないとダメな訳?他の人でも別に良いんじゃないの。例えばウチの母とか」
思わず言ってから、我ながらこれは無いわ、と美琴は自分自身にダメ出しせざるを得なかった。
いくら上条の携帯に母の電話番号が登録されてたからとは言え、母じゃダメなのか?と言うヤツはそうそういないだろう。
『ん?……そうか、そうだよな。別に御坂じゃなくても、美鈴さんとかに尋ねても―――――』
「ノンノンノンノン!!ちょ、アンタ私に何か聞きたい事があったから掛けてきたんじゃなかったっけ!?」
慌てて否定してから「しまった!」と思うがもう遅い。
自分で振っておいて、肯定されたから否定って自分でも何をしているのか美琴自身にもよく分からない。
『??? まぁ、美鈴さんよりも、学園都市内のヤツの方が良いか』
とりあえずは上条は納得してくれたらしい。美琴は心の中でホッと息をつく。
『御坂、ニュース見れるか。ネットでも良い。海外のニュースで、アビニョンって街でなんか起きてないか調べてほしいんだけど』
「はぁ?」
美琴は思わず素っ頓狂な声を出してしまう。
上条からの聞きたいことと言うのは、完全な想定の範囲外であったからだ。
「アンタ何を言ってる訳?テレビなんてどこを点けても臨時ニュースしかやってないじゃない。アビニョンってフランスの街でしょ。
なんかそこで、どっかの宗教団体が国際法に抵触する特別破壊兵器を作ってて、その制圧掃討作戦が開始されたって大騒ぎになってるでしょ」
『……、何だって?』
テレビでやっていた内容を思い出し言葉を紡ぐと、驚きに満ちた声が返って来た。どうやら全く知らないらしい。
「何でも本来ならフランス政府が始末する所を、特殊技術関連のエキスパートが必要だからって、学園都市がかなり深く食い込んでるとかって話だけど。……つか、アンタ今どこにいる訳?むしろこの情報が入ってこない場所を探す方が難しいんじゃないかしら」
もちろん美琴はこの情報を鵜呑みにしてはいない。
どんな事情があろうと他国の問題に学園都市が介入するなど尋常な事態では無いからだ。
『え、ええとだな……』
言い淀む上条に疑問を抱くが、なかなかその続きが返って来ない。
そんなに言い難い場所にいるのだろうか?
また何がしかの事件にでも首を突っ込んでいるのかと美琴は考えるが、ついさっき会ったばかりだしそれは無いだろうと判断する。
「どうしたのよ?」
何か考え事でもしているのか?と思って少し待ってみたが、全く反応が無い。
「お〜い!」
電話の先からはコツコツという足音だけ聞こえる。
足音からして上条一人では無いらしい。二人分と思われる足音が聞こえて来ている。
誰かと一緒にいるのか?と考えるが、電話越しでは誰と一緒にいるのかなど分かるハズが無い。
銀髪シスターの顔が頭に浮かんだが、美琴は頭を軽く振って思考から追いやる。
「コラ!電話でも無視すんのか、アンタは!」
切ってやろうかと美琴は考えるが、こんな用件とは言え掛けて来てくれたのに、こちらから切るのは勿体無い気がして切れない。
「ちょっと、ホントどうしたのよ?」
さすがに不安になり、気遣うように発言するが、その瞬間、ゴバッ!!と轟音が電話から聞こえ、思わず美琴は電話から耳を離した。
「な、何!?」
何かが壊れるような音だった。コンクリートとかそういった類の物が崩れる時の音だと思う。
「ちょ、ちょっと!アンタ、大丈夫なの!?」
『やられましたねー』
ようやく声が聞こえて来たと思ったが、上条の声では無かった。
(だ、誰こいつ?)
知らない男の声。だが携帯電話を代わったという感じでは無い。それにしては大分遠くから聞こえる。
「アンタ、誰よ!」
いまいち電話の先で何を言っているのか分からない。それにこちらからの声は一切聞こえていないようだった。
美琴は一度携帯から耳を離し、音量を最大まで上げて再び携帯に耳を当てる。
『暴動という混乱を収めるために、さらに大きな混乱を生んで呑み込んでしまうとは。学園都市もそれだけ本気という訳ですか。ある程度の国際的非難を受けてでも、こいつをどうにかしたいようですねー』
また同じ男の声。間延びする語尾にイラだちを感じつつも、美琴は今の単語から理解出来る部分を抜き出す。
暴動、学園都市、国際的非難と言えばついさっき上条と話していたアビニョンへの介入のことしか出て来ない。
『C文書』
今度はまた違う声。今度は女だ。『C文書』とは何か分からないが、さっきの男が言っていた『こいつ』のことだろうか?
ところでさっきから上条の声が一切聞こえない。
まさかさっきの音がした時に怪我でもしたのだろうか?と美琴の脳裏に嫌な光景が浮かぶ。
『まったく、面倒な連中です。私一人で蹴散らすのは簡単ですが、こいつを扱う術者へ集中的に攻撃されてしまうと、やはり術式の行使に影響が出る。まったく、人間の術式を扱えないっていう私の「体質」も問題ですね。おかげで凡人の術者に足を引っ張られる始末ですし……今回はこの辺りで切り上げておくのが得策というヤツでしょうねー』
面倒な連中を蹴散らす?さっきの文脈から考えれば、この声の主は学園都市を敵視しているように聞こえる。
(術式と体質って何のことかしら?)
普通に考えれば超能力を使えるような能力者の体質のことだろう。
しかし『術式』と言われても全く思い当たる点が無い。しかし『術』という言葉には聞き覚えがある。
先の九月三十日の事件でローマ正教が『魔術』というコードネームを冠する科学的超能力を使用していると学園都市は発表した。
ただローマ正教側はただちに馬鹿馬鹿しいと否定したようだが。
『黙って行かせると思うか』
そこでようやく上条の声が聞こえた。どうやら声を聞く限りは無事らしい。
美琴はホッと胸をなで下ろすと同時に、上条の声から威圧感を感じた。
普段聞くようなおちゃらけた感じは一切しない。まるで一方通行と戦っていた時のようだ。
『C文書はバチカンに帰っても扱える。それを知っていて、俺が行かせると思ってんのか?』
相変わらず怒気を含んだ上条の声。
バチカンは美琴にも分かる。十中八九、イタリアのローマ市内にある世界最小の主権国家、バチカン市国のことだろう。
『だから何だと言うのです。このアビニョンを制圧している学園都市の部隊では、私を止める事はできないんですがねー。
それとも、あなたの右手は彼ら全員よりも優れていると?そう断言できる根拠があるんですか』
先程からまさかと思っていたが、やはりこの馬鹿はアビニョンにいる。つい数時間前まで一緒にいたのにも関わらず。
普通に飛行機でフランスまで行けば10時間は掛かるハズだ。
超音速旅客機を使えば1時間で行けないことは無いが、普通の高校生が乗れる代物ではない。
だが消去法でそれ以外に方法が無い。一体どういう経緯で上条がそんなことになったのか美琴には想像もつかない。
『とはいえ、何もしないで納得しろというのも難しいでしょうし。
存分に挑戦し、存分に諦めてください。こちらとしても、そういう展開の方が面白くて大好きなんでね』
『最後に尋ねるけどよ、大人しくC文書を渡すつもりはねえんだよな』
『ええ。遠慮なさらず、存分に玉砕してください』
また『C文書』という単語。上条がこれからこの不気味な男と戦うつもりなのは分かる。
よく分からないが、戦っても奪う必要があるほど重要なものなのだろう。
美琴の想像以上に上条は戦いを繰り返しているのだろうか?という疑問が湧き上がるが、その前に電話の先で戦闘が始まった。
『優先する。―――――大気を下位に、小麦粉を上位に』
大気を下位に、小麦粉を上位に?全く意味が分からない。だがその直後に凄まじい爆音がした。
弾丸の破裂する音、壁なんかが崩れた音だと思う。背中から汗がドッと噴き出した。あのバカはそんな相手と戦っているのか?
自分にだってその程度のことは出来る。だが、それを実戦で人相手にやるとなれば話は全く別だ。
『優先する。―――――刃を下位に、人肌を上位に』
また優先という言葉。何なのだ、一体?と美琴が考えた直後ギィン!!という甲高い金属音がこだました。
そしてすぐにゴッ!!という鈍い音。
『痛……ッ!!』
さっきの女の声だ。
上条の敵なのか味方なのかは分からないが、どうやらここにはこの3人しかいないらしい。
『優先する。―――――人肉を下位に、小麦粉を上位に』
人肉という単語を聞いて、美琴の背筋に寒いものが走り抜けた。
この優先から始まる言葉の意味は分からなくても、単語は分かる。
しかしその直後、バギン!!という破砕音がした。
『おや勇ましい』
さっきの独特な音は幻想殺しの音だ。声は聞こえないが、上条は無事なようだ。
『しかしもう限界でしょう。足を引っ張る……とはまさに言葉通りですねー』
ムカつくヤツの声ばかり聞こえて来ることに美琴は苛立つが、今の自分には何も出来ない。
なんとか冷静を保とうと美琴は一度深呼吸をする。
『……確かに』
小さな女の呟く声。微かにだが確かに聞こえた。
『でも、ようやくあなたはボロを出してくれました。決定的なボロを』
『何の事でしょう?』
この女はどうやら上条の味方らしい。
また女絡みか、と思いつつも上条一人で戦ってるわけじゃないということに安堵する。
『あの、ツチミカドさんが言いかけていた事。あなたが得意とする優先術式『光の処刑』の弱点。
今のあなたの動きには、確かに不自然な所がありましたから……』
唯一分かったのはツチミカドという名前だけ。
土御門舞夏の顔が思い浮かぶがそんな訳は無い。ただの同姓だろう。
『天草式十字清教は呪文や魔方陣などを用いず、生活用品や習慣の中に残る魔術的記号を組み合わせて術式を形成しますから。そういった記号探しは得意なんですよ』
『なるほど。それは困りました』
何のことかサッパリ分からない。呪文や魔方陣?オカルトの話だ。
いっそ電話の先がそういうゲーム的な話であって欲しいとは思うが、上条当麻の真剣な声や、轟音を聞く限りそんなことはあり得ない。
やはり『魔術』というものを使う相手と上条は戦っているのだと美琴は確信する。
先程会話に出てきたバチカン市国はローマの中にあるし、偶然だとは到底思えない。
『しかし、気づいた所であなたにはそれを活用する時間はありませんけどねー?』
『優先する。―――――天井を下位に、小麦粉を上位に』
幾度となく繰り返されるこの言葉。『小麦粉』が何かの隠語なのかも知れないが、言葉だけではパズルのピースが全く足りない。
『五和ッ!!』
いくつかの爆音がした後、上条の声が聞こえた。
『ま、こんな所でしょうかねー。ただの魔術師が『神の右席』に太刀打ちできると思っている事が、すでに間違いという訳です』
魔術師、普通に考えれば『魔術』を使う人間のことだろう。
上条が『魔術師』だとは思えないので、先ほどの女のことを指しているのだろう。
『神の右席』の意味は分からないが、この男の二つ名のようなものだろうか?などと役に立たない情報ばかり分析出来てしまう。
『テメェ……』
上条の怒りが電話越しに伝わって来る。まさかさっきの女がやられたのか?
『おやおや。勝手に怒ってもらっても困りますねー。今は戦闘中ですよ。まさか私には一発も反撃しないで殴られ続けろとか言うつもりじゃありませんよねえ?』
『……、』
『というか、こちらとしてもがっかりですよ。幻想殺しと言うからには多少は苦戦すると思っていたのですが、まさかここまで未完成とはねー。
あれが本来の性能が回復していれば、少なくとも今の攻撃からそちらの魔術師を庇うくらいの事はできたはずなのに』
幻想殺しが未完成?私の電撃だろうが超電磁砲だろうと防ぐものが?あれが未完成などと美琴には到底考えられなかった。
『おや。もしかして、知らない?』
『ッ』
『くくっ、そんな訳がありませんよねー?普通ならば知っていなければならない。だとすると……んン?もしかして知っていたはずの事を覚えていないとか?』
『テメェ!!』
『まさか図星ですか。おやおや、これは楽しみな研究材料を一つ見つけてしまいましたかねえ!!』
『……ッ!!』
『ハハッ!!』
幻想殺しが未完成なことを上条が知っていたはずなのに今は知らない?
それってどういう……
『そうかそうかそうですか!確かそういう報告を受けた覚えはなかったんですが……もしかしてー、隠していたとか?何のために?
そちらでのびている魔術師にはちゃんと話したんですか?どうして記憶を失ったのか、そこから調査をしてみるのも面白いかもしれませんねー?』
記憶を……失った?
冷や汗が全身から噴き出しているのが分かる。
さっきまで考えていたことがどんどん頭から追い出され、その言葉だけを反芻する。
どれくらいそうしていたのだろうか。
いつの間にか携帯からは無機質なプーッ、プーッという切断した音が聞こえていた。
あちらが気付いて携帯を切ったのか壊れたのか分からないが、通話はもう出来ないようだった。
震える手を動かし、何とか携帯電話の電源を切って、繋がりの絶たれたカエル型の携帯電話をしばらく眺める。
体の震えが収まるまでじっとしていようと思ったのだが、いつまで経っても収まる様子はなかった。
それでも少しずつショック状態から脱してきた美琴は、今度こそ唇を動かす。
意図していないのに、不気味なぐらい掠れた声が自分の口から放たれるのが分かる。
「……忘れて、いる……?」
言葉に出してから、御坂美琴はその意味についてもう一度考えてみる。
記憶喪失ですって?
終わり
とある魔術の禁書目録SS第2作です。
ラブラブは精神衛生上良くないぜ!ってことで14巻の記憶喪失を知るシーンを美琴視点で書いて見ましたが、いかがでしたでしょうか?
原作からの引用多いけど、大丈夫かな?地の文はほとんどオリジナルですが、台詞は完全引用です。
普通に考えればこれだけの情報を得れば美琴は大分魔術サイドに近づけるんですけどね〜
ではではまた次回作で。