翌朝、俺は誰かの騒ぎ声で目を覚ました。
後で考えれば、隣で眠っていた美春以外考えられないのだが。
半覚醒状態の俺の脳ではそこまで考えは至らなかった。
目を開けた俺に美春は凄い勢いで話しかけてくる。

「朝倉先輩、美春はどうして先輩の隣なんかで眠っているんですか?もしや先輩・・・・」
俺はそこで美春の口を押さえる。

「勘違いするな、昨晩の事を思い出してみろ」
自分に原因があるのだが、恥ずかしさが俺を苛立たせ口調はつい荒くなる。

「昨日の事・・・・」
美春は考えるように天井の方へ首を傾けた。




「そうでした、朝倉先輩、頭大丈夫ですか?」
どうやら俺が転んだ時の事を思い出したのだろう。
だがその聞き方は無いだろう。

「喧嘩売ってるのか?」
「はい?」
「いや、なんでもない。大丈夫だよ」
真剣に聞いてるようなので、美春を安心させるためにそう言う。
実はまだちょっと後頭部が痛い。

「それでは、不肖天枷美春、朝食の支度をしてきますね」
そう言うと、美春はパタパタと階下へと走っていった。
俺は目覚ましに視線を向ける、時間にはまだかなり余裕があった。
本当ならもう一度寝るところなんだが、さすがにそれは美春に悪い。




「朝倉先輩、ご飯の準備できましたよぉ」
ゆっくりと身支度をしていると、階下から美春の元気な声が響いて来た。
朝からどうやったら、あんなに元気が出るか一瞬真面目に考えてしまう。

「すぐに行く」
俺は、そう簡単に返事をし、カバンを持って階下へと赴いた。




テーブルの上には今までは到底ありえなかったメニューが並んでいた。

俺が憧れ続けていた、和食メニューがそこには並んでいた。
ご丁寧にバナナも一本そこに置かれている。これは別にいらないが。

感極まった俺は、つい
「美春、俺と結婚してくれ」
冗談交じりで、美春にそう言ってしまう。

しかし、予想外に美春はそれを本気で受け取ってしまい、食事中の間ずっと顔を真っ赤にしていた。
無論、一言も口を利いてくれなかったのは言うまでもない。余計なこと言うんじゃなかった。




朝食後、俺は学校に行くためにカバンを持ってリビングを出て玄関へ向かう。

「あれ、朝倉先輩、どこか出掛けるんですか?」
学園のことを何も知らないと言った様子で美春は尋ねて来た。

「はぁ、何言ってるんだよ、学園に遅刻するだろうが」
俺は学園について手短に説明する。

「そうなんですか、朝倉先輩、勉強頑張ってきてくださいね」
美春は何事も無くそう言った。まるで自分は学園に行く必要が無いかのようにだ。

「美春は学園に行かなくていいのか?」
美春はどうして?と言いたげな表情をしていた。

「いや、いいや。じゃあ行って来る」
せっかく余裕を持って起きたのに、遅刻してはシャレにならないので俺は話を切り上げる。
美春に見送られ一人学園への道を歩き出した。
最初から時間に余裕があったこともあり、珍しく余裕を持って学園に着く事が出来た。
たまには早起きするのも悪くないな・・・




放課後、俺は特に帰りたい奴もなく、逆に言えば俺と帰ってくれる奴もいないので、一人で下校する事にした。
ただ単に方角が同じ奴が友人が皆無なのが理由なんだけどな。眞子なんかは一緒だが、帰宅部じゃないし。

「ただいま」
今までは誰の返答も無く空しい物だったが、今日は久しぶりに応えてくれる人がいるはず。

「おかえりなさいです、朝倉先輩」
その期待通り、美春が尻尾を振りながら駆け寄って来た。
この時、俺の頭には既に昨日の“一日だけ”という約束は忘れ去られていた。

俺は自室で着替えを済ませた後、リビングでくつろぐ事にした。
リビングの隅には洗濯物が綺麗に畳まれている。
どうやら、家事の方も完璧にこなしているようだ。
そういえば、家全体が俺一人になった時より綺麗になっている様な気がした。
いや、下手したら音夢がいた時よりも綺麗かも知れない。
美春は率先して、メイドの仕事に励んでいる様子である。
『働き者で忠実なワンコ』そう思うと俺は思わず笑わずにはいられなかった。

「朝倉先輩、お茶が入りましたよ」
「おう、ありがとな」
まだ美春が家に居候を始めて一日だが、同じようにお茶でくつろぐのもどうかと思った

「そうだ、美春、これから出掛けないか?」
俺はある計画を思いつき、美春を誘う。

「これからですか?」
不可解だ、という表情で美春が尋ねてくる。

「そうだ、お前が頑張ってくれたから、お礼をしてやろうと思ってな」
俺の素直な想いだ。

「わかりました、それじゃあ私、着替えてきますね」
美春は笑顔でそう言って、リビングを出ようとする。

「おい、美春、そのメイド服以外にも服、あるのか?」
「はい、音夢先輩のお部屋に何着か隠してあるんです」
美春はサラっとそう言った。
どうやら、音夢も島を離れる時に気付かなかったようである。
それだけ音夢を欺ける場所って一体・・・・・・・

つい、気になってしまい、俺はコッソリと美春の後を追う。
そして、本人に気付かれないようにそっと音夢の部屋のドアを開いた。
どうやら、美春は音夢の部屋の天井の一部を開けているようだ。
遠目では良く分からないが、確かにその天井の中には何着かの服が仕舞われているらしい。
音夢が気付かないわけだ、俺は心の中で苦笑する。

美春は俺に覗かれている事に気が付いてないのか、服を脱ぎ始めた。
美春の白い肌が目に飛び込んで来る。
そのまま見ていたいと言う、衝動に駆られたがメイドとして献身的に働いている美春の事を思うと、
申し訳なく感じ俺はその場を退散して、先に玄関で待つ事にした。




数分後、いつもの普段着に身を包んだ美春が降りてくる。
その姿は、耳と尻尾を除けばいつもの美春と何ら代わりばえしなかった。

「それで、朝倉先輩、美春をどこに連れて行ってくれるんですか?」
美春は好奇心一杯の表情で訊いてくる。

「ついてからのお楽しみだ」
俺は笑いながら言って、歩き出す。

「待ってくださいよ、朝倉先輩」
美春も後からついてくる。




そうして、辿りついた場所はいつもの桜公園にあるチョコバナナの屋台であった。
美春にお礼をすると言ったらこの場所しか思いつかない。

「ほら、奢ってやるから好きなだけ食っていいぞ」
俺は美春を促す。
美春は目を輝かせ、早速見繕っていく。

「まさか10本も頼むとは・・・」
「何か言いましたか?」
「いや、別に」
結局、美春に10本のチョコバナナを奢る事となった。
財布の中身はかなり減ったが、美春に対する給料の代わりと思えば安く感じられた。
美春はチョコバナナを、世界で一番美味しい物でも食べているかの様に頬張っていた。

「どうだ、美春、美味しいか?」
分かり切っていることだが一応訊く。

「勿論ですよ、そもそもバナナはですね・・・・・」
美春の蘊蓄が始まってしまった。

「かったりぃ」
俺は話の内容を右から左へと聞き流していた。
でも、こんなに可愛らしい美春の表情が見れるのなら、一日一本程度なら奢ってやってもいいと内心思い始めていた。




その後、夕食のための買い物をしたいと言う、美春に付き添い商店街へと赴いた。

「朝倉くん、こんちはっす」
買い物も済ませて帰ろうかと思ったところで、見知った顔が声を掛けてきた。
それは学園のアイドル白河ことりであった。
普段なら話しかけられて困る事もないし、寧ろ嬉しいのだが今は違う。
何せ、俺は美春と二人で歩いているからだ。
その上、今の美春は耳と尻尾が生えている、何か言われる事は必死だった。

「よ、よぉ」
俺は引き攣った声で挨拶を返す。

「ねぇ、朝倉君、デート?それともお買い物?」
俺の後ろの美春を認めたからだろう、選択肢は二つだった。
ってかデートも買い物もこの場合は同意語だろ。

「ばっ、馬鹿な事言うなよ。俺はついさっきここでこいつに捕まって、仕方なく買い物につき合わされてるだけだ」
仕方なくの部分を特に強調する。
これで勘の鋭いことりを騙し切れるとは思って無かったのだが、とりあえず納得してくれるだろうと思った。

「えぇー、朝倉先輩、何を言ってるんですか?美春は朝倉先輩のメイドとして雇われてるじゃないですか」
何を思ったか美春はそう言った。
俺は、美春の口を押さえようと思ったが遅かった。

「朝倉君、そう言う趣味だったんだ・・・」
「ち、違うんだ!」
「人の趣味はそれぞれだよね。あっ、私、用事があるから行かなくっちゃ、バイバイ」
「誤解だ〜〜〜!!!」
ことりは逃げる様に走り去って行ってしまった。
何と言うか、今後、ことりとはまともに会話が出来ない気がしてきた。
本校での生活はあと二年もあると言うのに言い知れぬ空しさを感じた。

「朝倉先輩、何、固まってるんですか?」
元凶が何も知らないと言った風に話しかけてくる。

「さぁな」
俺はポツリとそれだけ答えた。




この日の夕食も美春が担当し、と言うよりも俺が手出し出来る事など何もないのだが。
今晩も美春の作った豪華な夕食に舌鼓を打った。
その後風呂に先に入るか入らないかで揉め、なんとか美春を先に入浴させた。
だが問題はその後にもあった。

「この風呂・・・美春が入ったんだよな・・・」
俺の脳裏で美春の生まれたままの姿が映し出される。
もちろん見たことなど無いので全て想像だが。

「落ち付け。いつも音夢の後に入ってるじゃないか」
まぁ音夢は妹なわけだが。俺はなんとか自分を納得させ、落ち付かない入浴をしたのだった。




風呂に入った後、リビングで見ていたテレビにも飽きを感じ、部屋へと引き返そうとすると美春に腕に抱きつかれた。

「何だよ、美春!?」
俺はさっきの風呂の件もあって、動揺してしまう。
すると、美春は昨晩の様な上目遣いで。

「朝倉先輩、本日も美春と一緒に寝ませんか?」
そう提案した。

「絶対、お断りだ、お前また朝になると取り乱して一人で騒ぐだろ」
俺は今朝の事を思い出し、美春に言う。
それに俺の理性が保つ保証はどこにも無い。

すると、美春は寂しそうな表情を浮かべ
「じゃあ、美春はどこで寝ればいいんですか?」
当然の疑問を口にした。

昨晩は偶然、俺の気絶があり、一緒に寝る事になったが、確かに美春の寝場所を確保してはいなかった。
音夢の部屋は俺の意思で使用禁止にしてしまったし・・・・・
俺は必死に思案した。
流石に美春とは言え、女の子一人をリビングのソファーで寝かせるというのは申し訳なさ過ぎる。

「それじゃあ、俺がリビングのソファーで寝るから、美春、お前は俺の部屋を使えよ」
俺は、そう提案する。
だが美春は俺の提案に拒絶の意思として、首を激しく左右に振った。
そして、涙を浮かべつつ

「一緒に寝てくれないと、美春、寂しいんです」
涙目の上目遣いで俺にそう言った。
もう既に理性が吹っ飛びそうです。

「かったりぃ」
俺は、そう言いながら美春を促し自室へと赴いた。
結局、俺は美春に負け、美春と共に寝ることになった。

ベッドの中で美春は
「朝倉先輩、おやすみなさい」
小声でそう言った。




まだ二回目の朝だと言うにも関わらず、美春の作った朝食を食べ学校へ行く事を日常と俺は感じていた。
とりあえずかなり寝不足なのは他人の夢のせいなどではなく、興奮して寝付けなかったせいだろう。

「行って来る」
「行ってらっしゃい、朝倉先輩」
美春の笑顔で俺は送り出された。

通学途中にある、桜並木、そこで偶然ことりに出会った。
昨晩の夕方の事を思い出すと心苦しい。
気にせず無視して学園に行ってしまおうかとも思ったが、結局同じクラスなので無意味だと思い諦める事にした。

「朝倉君、おはよっす」
当のことり本人は昨日の事などまるで何事もなかったかの様に俺に挨拶をしてくる。

「おはよ」
俺は、内心怯えつつもいつもの様に挨拶を返す。

「別に気にしてないよ」
ことりは一人ポツリと言う。

「そうですか・・・」
俺は気になり尋ねる。

「気にしないでいいからね」
ことりは笑顔でそう言ったので、俺は安堵する。
しかし、俺が安堵していられたのはこの瞬間だけだった。

「ねぇ、朝倉君、朝倉君は天枷さんの事・・・・」
そこまでことりが言い掛けたのを俺の言葉が遮る。

「おい、ことり話してるのはいいが、あんまり時間ないぞ」
俺は、腕時計に目を落としつつ言う。実際はまだ余裕があるが、その話はこんなところでしたくない。

「朝倉君、放課後、あの大きな桜の木の所に来て話があるから」
歩き出した俺にことりはそれだけ言った。

やはり、美春について何かしら尋ねられるのだろうか、そう思うと俺は気が気でなかった。
そのせいもあって、俺は今日の授業にはまったく集中する事が出来なかった。
と言うのは言い訳で、本当の所は全授業を通して昼休みも入れてほとんど眠っていたのだ。

「かったりぃ」
俺は、放課後の俺唯一人しかいない教室で呟いた。




帰り道、桜並木に差し掛かった所で今朝のことりとの約束を思い出し、俺は桜公園の奥の方へ足を向けた。
目標は、枯れない桜の木、ことりの言うところの“あの大きな桜の木”である。
俺が少し遅れた事もあってか、ことりは既にその場にいた。

「朝倉君、遅い、来てくれないかと思ちゃった」
ことりは拗ねた様に言う。

「悪い、悪い、教室で寝ててさ」
俺は包み隠さず謝罪する。

「知ってるよ。朝倉君らしいね」
ことりは微笑を浮かべつつ言う。
知ってたら起こしてくれても良かっただろうに。

「それで話って何?」
このまま笑われっ放しでは尺なので、本題へと写ろうとする。
その話を出した瞬間、ことりの表情は険しいものへと一転する。
意を決したのか、ことりがゆっくりと口を開く。

「朝倉君、真剣に聞いてね?」
ことりは、確認するように俺に言う。

「あぁ」
「朝倉君は天枷さんの事、好きなの?」
ことりは真剣な面持ちを浮かべ、俺の顔をじっと見据えている。
多分、いや絶対、はぐらかしたり誤魔化したりは出来ないだろう。
俺は、覚悟を決めた。

「美春の事は好きだけど、彼女にしたいとかって好きじゃない」
そう答えた。俺の答えが意外だったのか、ことりは戸惑った様子を見せている。

「じゃあ、どうして天枷さんは朝倉君の家でメイドさんをやってるの?」
ことりの口から紡ぎ出された言葉は結局、疑問のものだった。

「・・・成り行きだ」
俺は事の経緯をことりに説明する。

「ふふ、何それ。全然分からないよ」
「俺だって、良く分からん」
俺は素直にそう返す。

「と言うことは私が好きって言ったら、朝倉君は私と付き合ってくれるのかな?」
「・・・・・・は?」
ことりは、悪戯っぽい笑みを浮かべつつそう言った。
ことりの発言に一瞬驚きはしたが、単なる冗談だと思った。
学園のアイドルと言われることりが俺のことが好き?冗談以外の何物でも無い。

「冗談・・・だよな?」
「うぅん、冗談じゃないよ、だって私、朝倉君の事、好きだもん」
ことりは、ポツリと言う、俺に聞こえるかどうかギリギリの声で。
結局、俺の耳には届いていた。俺は、顔を真っ赤にし俯いてしまう。

「・・・・・・マジ?」
「さぁて、どうでしょうね」
ことりは、笑顔でそう答えた。
俺が一人で照れているのが、段々と馬鹿らしく思えてきた。
でも、冗談だったとしてもことりに告白を受けた事に変わりはない。
人というのは不思議な物で、相手に気があると少しでも思うとついつい意識してしまうものなのである。
俺も例外ではなく、その一人な訳でことりがいつも以上に可愛らしく見えてしまう。

「今日のことりは何だか可愛いな」
考えはつい、口を付いて出る。

「えっ?」
ことりはまるで、その言葉が自分に向けられたかどうか分からないといった表情で返してくる。

「悪い、何でもない!」
俺は自分が言ってしまった事を悔いて誤魔化そうと勤める。

「それだといつも可愛くないみたいだよ」
「いや、違っ!ことりはいつも可愛い・・・って何言わせるんだよ」
「あはははは」
「ことりには敵わないな・・・」
しかし、今まで無邪気に笑い、俺をからかっているとさえ錯覚させていた彼女が、突然静まる。

「ことり?」
「朝倉君、そう言いたい人は他にいるんじゃないかな」
唐突に切り出されて俺は困惑する。

俺が、今、ことりに言われた事の意味を考え悩んでいる時だった。
「ゴメンね、朝倉君、今日は突然呼び出しちゃて」
ことりはそう言うと桜公園の方へ向って歩き出した。

話は、全部済んだから。
ことりはそういい残し、枯れない桜を後にした。
俺は、少しの間動くこともせず、思案のためにその場に留まった。
結局、ここで考えても何も答えが出ないと俺は悟り、美春のためにチョコバナナの一本でも買って帰るかと考え直して帰路に着いた。





終わり

雪射さんあとがき
「承」でした。前回の「起」に比べれば少しはマシ・・・かな?(苦笑
それでは次回「転」でお会いしましょう。



                                        
ワンコなメイドさん
(承)
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