プロローグ

桜の花びらが散る。
春にはさして珍しくも無い光景。
花が散った後の枝には、花は付いていない。
春の終わりを告げる、幻想的なひととき。

「ずっとボクを守ってきてくれた。今までありがとう。
大好きな人の笑顔のために、ボクは・・・」

その続きは、やさしい春風の中で消えた。
いや、続きは口にしなかったのか。風に吹かれて、花びらが舞う。




枯れないはずの桜の木が枯れた。
それは、この初音島に訪れた夢の終わり。
異常だったものが正常に戻った。ただ、それだけ。
それなのに、純一は物悲しい気分になった。

「かったり・・・別にいいんだ」
全ては終わるから。思い出に縛られることもあるまい。
饅頭でも食って、行くか。
手を握って、開く。そこには、何の無い。

「あれ・・・?」
同じ動作を繰り返す。やっぱり、何も無い。

「消えたみたいだな・・・和菓子の力」
別にいいか。
鞄を手に、自分ひとりしか居ない家を出る。
春の気持ちいい風にのって、微かに桜の匂いがする。
学園には、いつもと違う空気が流れている。そして、大事な人の、暗い顔・・・




三日後、芳乃さくらはアメリカへと出発する。
時刻は、午前三時。
島で一番大きい桜の大樹に手をつき、祈るように立っている。
この桜は、いくら花びらが散ろうと、常に満開のまま。
それは、自分の願いであり、祖母の夢でもあった。

「今日お別れだね、おばあちゃん」

桜の花が散る。
静かに、夢から覚めるように。
その景色は、夢のように綺麗だった。
樹についた花が全て散る寸前、懐かしい声が聞こえた。

「また春に会いましょう」

そう。
ここで散った桜も、一年かけて、春にまた花を咲かせる。
今の終わりは、次の春への始まり。繰り返す。成長する。
―――また、春にね。




最後に自分に残った力は、自分を純一の夢へと導いた。
自分と同じように力が残っている、純一の下へ。

「お兄ちゃん」
声をかけた。

「さくら・・・」
驚くのも無理はない。
力は、桜の花びらと共に散ってしまったのだから。
だけど、二人だけには僅かに力が残されている。
二人分の力を使って、夢で会うことが出来た。

「なんで、お前がここにいるんだ?」
「だって、これはボクの夢だもの」
最後に、桜がくれたプレゼント。最後に夢で会いたいという、夢。

「お前の夢?でも俺は・・・」
「細かいことは気にしないほうがいいよ。ガラじゃないから」
ちょっと笑ってみせる。

「いや、しかし・・・」
聞こうとした言葉を引っ込めたらしい。
純一は、面倒臭そうにして口をつぐむ。

「最後に、お兄ちゃんとこの桜を見たかったんだよ」
自分で枯らした桜に手をついて、空を見る。ちょっと、寂しいかな・・・

「不思議なこともあるもんだな・・・」
「どんな夢も終わるんだよ。特に、楽しい夢は」
「夢?」
「夢だよ」
自分の名前を、いつまでも思っていてもらいたくて。
でも、自分で夢から覚めることを決心できた。
この気持ちに、決着をつけることが出来た。

「そういえば、さっき・・・最後にって言ったか?」
「ボク、海外に帰るんだ」
「え・・・?」
誰にも言わなかった。自分の、海外での姿を。
それを自分の居場所に出来るまでは、言うつもりはない。
それに、ようやく、一歩目を踏み出したところだから。

「でも、どうして・・・」
「決めてたんだ。桜が枯れたら帰るって・・・」
そうじゃ、ない。
ないんだけど、帰ってきたのは、そのためだった。

「そんな――」
「嘘だよ」
無理があったけど、笑ってみせた。

「本当は元から五月までの約束だったんだ・・・ほんの少しの間だけだって」
「ボクが無理を言ってきたの」
この言葉の本当の意味を知らない純一は、心苦しそうになった。
―――お兄ちゃんに会いに来たのもあるけど、本当は、この桜を枯らすため。
言いたくないし、言えるはずも無い。
自分が、自分の弱さと決別するために。
身勝手な我儘のために、お兄ちゃんは・・・
純一に近づいて、その胸にそっと触れる。

「えへへへ・・・ごめんね、今になって」
笑いながら、明るい声が出るように。

「お兄ちゃん、ボクのこと、好き?」
「ん、あぁ」
その「好き」は、幼馴染に対する好意としての「好き」。
ボクが求めていた意味とは違う意味の、「好き」。

「そっか・・・よかったぁ」
「またお別れか」
六年前は泣いた。でも・・・

「今度は泣かないよ。ボクは大人になったんだから」
桜の木を見る。
夢を、自分で終わらせた。
それは、始まりでもあることに気付いたのだから。
また会えるときに、笑っていられるように。

「さて、そろそろ行かなくちゃ」
桜の魔法の、タイムリミットまでにはまだ時間がある。
だけど、お兄ちゃんには行くところがあるから。
目を覚まして。

「え・・・」
「もう、お兄ちゃんが目を覚ましてしまうからね」
現実では、夢の終わりを嘆いている人もいる。

「ごめんな・・・」
それは、本当にやさしい彼の本心。
でも、それを向けるのは、自分にじゃない。

「なに謝ってるのお兄ちゃん?」
「ありがとう」
「・・・ボクもありがとう。えへへ・・・見送りには来なくていいからね」
他に行くところがあるから。
少し離れてから。
このことを伝えに来た。

「あ、そうだ、一つだけ忘れてた」
さりげなさを装って。
時間もまだ、少し残っている。

「ん?」
「夢はもう終わったんだよ」
おばあちゃんがみんなに贈った夢が。

「だから、お兄ちゃんの大事な人にも伝えてあげて。
どんなに幸せな夢にも終わりはあるんだって・・・

「魔法が解けてしまったのを嘆いてばかりいないでって」
「・・・魔法?」
伝えに来たのは、このこと。
おばあちゃんの贈った、夢のような魔法。
その魔法を解いたのは自分だけど・・・
大好きな人が笑っていられるように。
そのやさしさで、大事な人を幸せに出来るように。

「それじゃあ、また春に」
本当はまだ、時間は残っていた。
でも、お兄ちゃんが本当に行かなきゃいけないところは、夢の中じゃない。

「おい、さくら!」
伸ばされた腕をすり抜ける。
これ以上いると、未練になってしまうから。
後ろを振り返らず、走り抜ける。

「今度会うときは美人さんになってるからねぇ!」
聞こえているかは分からない。
でも、もうボクは子供じゃない。
泣き出しそうなのをこらえて。




心の中で、つぶやいた。
―――白河さんを、幸せにしてね。
大人になったんだから、泣きたくはなかった。
でも、桜の夢が終わるまでは、泣かせて・・・
夢の中、桜の木の下に座って、泣いた。
夢から覚めるまでは、子供でいいから、と。

花を散らせた桜の木に、月がかかる。

「また春に、ね」





終わり

桜佳さんあとがき
「ことり編」の、クライマックスでのさくら視点のSSです。
勝手に作ったので訳分からないところもありますが、自分的には良く出来たほうだと思います。
ちなみに、桜佳は原作をプレイしていないので、小説版読んでから作りました。



                                        
桜の木の陰で泣く魔法使い
(ことり編)
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