プロローグ

桜の花びらが散る。
春にはさして珍しくも無い光景。
花が散った後の枝には、花は付いていない。
春の終わりを告げる、幻想的なひととき。

「ずっとボクを守ってきてくれた。今までありがとう。
大好きな人の笑顔のために、ボクは・・・」

その続きは、やさしい春風の中で消えた。
いや、続きは口にしなかったのか。風に吹かれて、花びらが舞う。




約束の、五日目。
覚悟をしておいて。そう、お兄ちゃんに言ってある。
本当に覚悟をしなきゃいけないのは、自分なのに。
音夢ちゃんが、死にかけている。
いくら桜に祈っても、心の底では彼女を憎いと思っている。だから・・・
―――本当は、ボクがこの結末を望んでいたんだ。

「あれ、さくら?」
「うにゃ、目が覚めた?体調はどう?」
「別に・・・どうして?」
「昨日、酔っ払っちゃったからねぇ」
「ウソ・・・」
「ウソでした」
「まだ本調子じゃないみたいだから、今日は休んでおいたほうがいいよ」
「・・・ありがと」
おそらく、すぐにでもお兄ちゃんを起こしに行くだろう。
どこにも、悪いところはないのだから。
あるとすれば、心・・・
消去法でボクが選んだ、結末。




この桜の花びらが、音夢ちゃんの・・・
こんな現実を前にしても、自分で何も出来ない弱さが恨めしかった。
縁側に、見慣れた後姿。

「あ、お兄ちゃん」
「なんだ、どこにいたんだ?」
「裏庭で落ち葉を焼いてるんだよ」
こんなにも冷静な自分。
逃げてばかりいる。ずっと、ずっと・・・

「焼きいもか?それとも、とうもろこしでもあぶってるのか?」
お兄ちゃんはもっと深い傷を負ったのに。
まだ自分だけは、と思っている。そんな弱さが・・・

「桜の花びらだよ」
「庭掃除でもしてたのか?」
明らかに音夢ちゃんはおかしかったはず。
だから、ここに来たんだ。
体調が悪いわけじゃないから、急ぐことは無いだろうけど・・・
いずれ気付くこと。
それに、自分にはしなきゃいけないことがある。
座敷に上がったところに、お兄ちゃんの声がした。

「なぁ、それよりも音夢が帰ってきてたけど・・・」
「なにか辻褄の合わないこととかあった?」
とぼけてしまう。自分のせいなのに、それを認めたくはないから。

「いや、なんというか・・・あれは一体どうなっているんだ?」
「うにゅ・・・」
これが、ボクの弱さゆえの結末、なんだ。

「音夢ちゃんの思い出を消したの」
小さな声だった。

「・・・え?」
「お兄ちゃんへの恋心の発端となりそうな記憶を、全部音夢ちゃんから消したの」
「消した?」
言葉が途切れ、さっき火をつけたところから、パチパチという音がした。

「おい、まさか庭で燃やしてる桜って・・・!?」
「そうだよ。音夢ちゃんの中にあった、お兄ちゃんとの思い出」
「・・・・・・・そりゃ焼きいもなんて作ったら、さぞかし美味いだろうな」
無理矢理な、笑い顔。
思わず目をそらした。

「どこから覚えていないんだ?」
「細かくは分からない」
「首の鈴をもらったあたりとか、ボクがいなくなった頃の家出とか」
それを消して、音夢ちゃんは別人のようになってしまっただろう。

「あくまで応急処置だから、上辺の思い出が薄まってるだけだと思うけど・・・」
だから、音夢ちゃんの強い気持ちがあれば、いつかは思い出すだろう。
そして、そのときは・・・
―――今度は、ボクが覚悟する番だよね。大人になって。

「だから・・・兄さん、って言わなかったのか」
悲しそうな顔をしている。
こんな顔は見たくない。
でも・・・

「うっ、痛たたたたっ・・・」
「うにゃ、大丈夫?」
「なんかシクシクと痛むな」
胸をさすりながら、お兄ちゃんは苦しそうにしている。
まだ、言うことがある。
大好きな人を悲しませる、言葉を。

「とりあえず・・・」
覚悟、しなきゃいけない。
少し先の、未来の覚悟を。

「このまま何もなければ、これ以上音夢ちゃんの症状が悪化することはないと思う」
「後は・・・」
「後は?」
予期しているはず。その先のことばを。

「このままずっと、関係を持たなければ」
悲しみのどん底に突き落とされた人は、誤魔化すように笑う。

「は・・・ははははっ・・・これっきり、なのか?」
「後は・・・」
五日前、覚悟をして欲しいといったのは、このこと。

「お兄ちゃんがあきらめれば終わり」
「終わり?」
聞き返されて、つらくなった。
事実、自分は責められるべき人間。

「音夢ちゃんのこと助けたかったら、そっとしておくしかないよ」
自分が、夢から覚めることが出来れば。
その覚悟が出来れば。

「・・・ごめん」
傷つけたくなかった。
でも、本当は自分が傷つきたくなかっただけのこと。

「いや、お前のせいじゃないだろう」
ううん。ボクのせいなんだ。だから・・・

「ごめんなさい。ボクはお兄ちゃんを傷つけた」
大好きな人の幸せを奪って。
自分が、夢から覚めるのが怖くて。
自分の心の奥にある黒い感情を抑えきれなくて。
悔しくて・・・

「・・・お前のせいじゃない」
何も知らないお兄ちゃんにすがって、泣いた。
本当は望んでいるわけではないのに、一番強く願っている。
泣いてはいけないのに。




音夢ちゃんが、また桜の花びらを吐いた。
もう、逃げ道はなくなった。
ボクが出来ることはもう、自分で自分の夢を終わらせることだけ。
桜の魔法が消えて、ボクの持っているものも多分消える。
そこは、多分こんな感じ。
何もない、白い空間。
この、音夢ちゃんの夢のように。
(これは・・・)
お兄ちゃんの声が、文字として浮かぶ。

「もちろん、音夢ちゃんの夢」
向こうにも、声は文字となって現れているだろう。

(さくら・・・どこだ!?)
「無理だよ。もう、音夢ちゃんの中では芳乃さくらという人間は記憶されていないの」
自分の声ですら、文字としてしか認識できない。

「声も忘れちゃったらしいね」
(けど、これは夢なんてもんじゃ―――)
空っぽの空間では、お兄ちゃんは声を出せるけど、声は反響しない。
白い霧しかない。

(これが夢?こんなからっぽなのが夢か?)
「そうだよ」
ここに、楽しい夢が帰ってくるように。
自分が望むだけじゃ、かなえられない願いごとを自分でかなえに。

「もう・・・音夢ちゃんが覚えているのはお兄ちゃんのことだけ」
こんなになるまで音夢ちゃんと、お兄ちゃんを苦しめてしまった。

「残されたわずかな欠片を守るために、他のどんな記憶ですらも犠牲にしている」
(それで、あいつはおまえのことまで?)
「限界なんだよ」
お兄ちゃんとの事を思い出すたびに消えていった、友人達の記憶。

「そこまでしないと守れないんだ」
(そこまでして守るものってなんだ!?俺との思い出だってほとんど消えているのに、あいつは一体、どんな夢を守ってるんだ!?)
その夢は、ボクと同じ。

「過去じゃないんだよ」
過去ではなく、未来。

「未来の夢。過去じゃなくて、未来に希望をもっているから人は生きられる」
ボクの、叶わなかった夢。
願い事が全て叶うこの島で、叶わなかった。

「たったひとつ・・・」
同じ思いを持っている。

「・・・ささやかな願いごとだよ」
(ささやかな願いごと?)
たぶん、お兄ちゃんには分からない。
ちっぽけな、二人の願いごと。
叶うのは、音夢ちゃんのほう。ボクとお兄ちゃんが、叶えてあげる夢。

「笑っちゃうくらい、ささやかなんだよ。だから、かなえてあげてお兄ちゃん」
ボクは、桜の木の陰で、泣いているかもしれないけど。

(けど・・・)
「それは奇跡なんかじゃなくて、とっても簡単なことだけど・・・」
お兄ちゃんが選んだのは音夢ちゃんだから。

「お兄ちゃんにしか叶えられないんだ」
その決意は、言葉になった。
ボクが、お兄ちゃんと音夢ちゃんを祝福できそうなくらいに。
迷いなく。

「音夢ちゃんの夢を叶えてあげて・・・・・」




夜になって、少し風が出てきて涼しい。
音夢ちゃんの中の思い出は、全て蘇っていることだろう。
それは、音夢ちゃんの想いの強さ。
お兄ちゃんの、愛の深さ・・・

島で一番大きい桜の樹。
三人で「秘密基地」と呼び合った、魔法使いの遺した夢を見せる桜。
「これがかれれば、みんなが夢から覚めるんだよね」
音夢ちゃんの病気も、ボクの全ても。
おばあちゃんに能力をもらったみんなの、不思議な力。

――ボクの夢の終わり――
――新しい現実の始まり――

今までありがとう。
つぶやいてみる。
夢から、覚めるとき―――――

全ての花を散らせた老木が、青く光ったのを見た。
夢から覚めろ、と言わんばかりに。
楽しい夢は、もう終わった。
いつかこの島に帰る日が来るなら、笑っていたいから。
今だけ、桜の木にすがって、泣きたかった。
夢の終わりに、懐かしい声を聞いた。

「また、春に会いましょう」





終わり

桜佳さんあとがき
「音夢編」の、クライマックスでのさくら視点のSSです。
勝手に作ったので訳分からないところもありますが、自分的には良く出来たほうだと思います。
ちなみに、桜佳は原作をプレイしていないので、小説版読んでから作りました。



                                        
桜の木の陰で泣く魔法使い
(音夢編)
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