えーと・・・
俺は急な話の展開について行けずに、アホ面でこのみとタマ姉の二人を眺めていた。
まだ混乱する頭で、ついさっきのタマ姉の爆弾発言を思い出してみる。
タマ姉が、俺のことを好き??
「それじゃあ、このみ。どっちがタカ坊を落とすか、正々堂々、抜け駆けなしの勝負よ」
「うん!」
「勝っても負けても、お互いに恨みっこなし。それでいい?」
「うん、いいよ。いくらタマお姉ちゃんが相手だからって、絶対に負けないんだから!」
そうこうしている間にも、タマ姉たちは話をどんどん進めていく。
つーか、その前に大事な事を忘れていませんか?
「あの・・・俺の意思はこういう場合、どうなるんでせうか?」
えらく盛り上がってる二人に、俺はおそるおそる挙手をして、このみとタマ姉に訊ねる。
すると二人は満面の笑顔で振り返り、声を揃えてこう言った。
「「却下」」
このみとタマ姉の、例の宣言から、もうすぐ一ヶ月が経とうとする頃。
「はぁ・・・」
俺は隣を歩くこのみをちらりと見て、重たい息を吐いた。
ため息の原因は今朝の柚原家にさかのぼる。
「タカくん、出掛けに悪いんだけど、今日、このみを預かってくれないかしら?」
「・・・・・・は?」
朝一で、おはようの代わりに春夏さんが言った言葉がそれだった。
・・・しまった。うっかりしてたが、もう先月から一ヶ月が経っていたのか。
このみの母親は月単位で、丸一日、家を空ける日がある。
そんな時は、無用心だから俺の家にこのみを預けるのだが・・・ちょっと待て、いくらなんでも今はマズイ。
このみを意識し出してから、まだたいして日も経っていないんだ。
今までは妹みたいなもんだったから、気も楽だったが、少なくともいきなり今日と言われても困る。
春夏さんには悪いが、今回ばかりは断らせてもらった方がいいだろう。
「あ、あの〜すいません。実は今日、外せない用事があるんですが」
「あら、そうなの? 大変ね。じゃあ、このみをお願いね」
・・・・・・一体、何が「じゃあ」なんだ?
「本当、タカくんがいてくれると助かるわー」
「いやあのちょっと」
「あ、おみやげ買ってくるからね。何がいいかしら」
「もしもーし?」
「今回は北海道だからやっぱり
まりもかしら。それとも
熊の木彫りの方がいい?」
んなことは微塵たりとも聞いていない。
うーん困ったぞ。春夏さん、旦那さんと二人っきりになれるからすっかり浮かれモードだ。
その証拠に全く人の話を聞いていない。それとも、痴呆が始まったのだろうか。若しくは耳が遠くなったとか。
春夏さん、ああ見えて結構いい歳だしなぁ。
「あらあら、何か言ったかしら?」←メキメキッ!!
「ひッ!何も!!」
まるで俺の心を読んだみたいに手にしていたお玉を軽く握りつぶす春夏さん。
「それじゃあタカ君、このみをお願いね♪」
「イエッサー!!」
俺は直立不動のまま春夏さんに敬礼で答えた。
「ねぇってば!聞いてる? タカくん」
「へ?な、なに?」
「むー。やっぱり聞いてなかったんだ。タカくん、今日は何が食べたい?」
「あー・・・このみに任せるよ」
俺の憂鬱に気がつく筈もなく、このみが覗き込むように聞いてきた。
もう何年も前から続いているこのみのお泊まりだが、今回は事情が事情だ。
出来るなら、暫らくは冷却期間を置いておきたいのだが、世の中、そうそううまく出来ていないらしい。
「はぁ・・・やっぱマズイよなぁ」
このみに変な気を起こすとは思えないが、それでも俺も一応は健康な男。
何事もなければいいが・・・と心の中で神に祈っていると。
「えへー。今日は楽しくなりそうだね♪タカくん」
何故か、このみの無邪気な笑顔が嫌な予感をビンビンに告げていた。
ピンポーン
帰宅してほどなく階下からチャイムが鳴り響いた。
「このみの奴、もう来たのか」
得てして、こういう状況に陥った場合、右往左往するのは男の方だ。
まぁ、俺が変な気さえ起こさなければいいんだよな、うん。
俺は自分の頬を数回、ぺちぺちと叩きながら心の準備を済ませると。
「開いてるぞー」
階段を降りながら言うと返事の代わりに、玄関がガチャっと音を立てて開かれた。
「お邪魔しまぁす」
長年の癖なのか、ちゃんと開ければいいものをドアを半開きにして隙間からこのみが顔を覗かせている。
俺は靴下のまま降りて、玄関を開いてこのみを招き入れてやる。
「まぁ、上がって適当に・・・」
「やってくれ」と言いかけたのだが、その言葉を飲み込み固まった。
「はぁい♪ タカ坊」
未だ目は点のまま。
俺の視線はこのみの後ろで手を振っている人物に釘つけになっている。
ようやく、俺は油の切れたブリキの如く、ギギギ、と音を立ててこのみを見た。
「・・・あの、このみ?」
「ん、なぁに?」
「ナゼ、タマ姉、いまスか?」
「えへへー、正々堂々なのですヨ」
「そゆこと」
パタンガチャ。
「ふぅ」
「ああっ、タカくんが無言でドア閉めたー」
開けて開けてー、と騒ぐこのみを無視して、俺は何事もなかったかのように額の脂汗を拭った。
そして。
「聞いてない、聞いてないってえええええ!!」
叫びながら、玄関先で頭を抱えてしゃがみ込んだ。
ヤバイ、いやマジでヤバイ。
このみはまだしもタマ姉の登場は予想外だ。
それと言うのも俺が変な気を起こす起こさない以前に逆に捕食される危険性の方が大きい。
数時間後の自分を想像してみると、何故か代わりに浮かんだものは鮭を咥えた熊の木彫りだった。
鮭→俺、熊→タマ姉。間違いなく俺は捕食される方だ。
どどど、どうする!? この危機を乗り切る何か妙案は・・・・・・
そ、そうだ。
たった今から引き篭もりになろう。
そう思った俺はダッシュで家中の鍵を閉め、二階へと上がると、そのままベットに潜り込んだ。
ごめん、ごめんよこのみ。
俺も自分が可愛いの。
頭から毛布を被ればもう呼び鈴も聞こえない。そんな俺の爛れたパラダイス。
「あーあ、タカ坊ったら、ちょっと目を離しただけでこんなに散らかしちゃって」
「最後にタマお姉ちゃんが掃除したの一ヶ月前だしねー」
だが、パラダイスは階下から聞こえてきた聞き慣れた声によってあっさりと崩壊した。
し、しっ、侵入された!?
慌ててベッドから飛び降りると、階段を例えじゃなく本当に転げ落ちながらリビングまで降りる。
その時にやったのか足が絶対に向いていたらいけない方角に曲がった気がしたが、それどころじゃなかった。
「たたた、タマ姉!!」
「あら、どうしたのタカ坊。血だらけじゃないの」
「それよりも!何処から入ったんだよ」
「何処って玄関に決まってるじゃない」
ちなみに、以前のタマ姉の忠告の通り、鍵は植木鉢の下に隠すのはやめてある。
そして玄関の錠は間違いなく施錠した。その上で、鍵は俺が持っている。
なので俺は至極当然な疑問をタマ姉に投げかけた。
「鍵、どうしたんでスか?」
「開けたわよ」
あっさりと!? そ、そげなあっさりと言い切りますか!!?
「ど、どうやって?」
「ピッキングで」
ア、アンタ九条院でナニ習ってきた。
さも当然のようにあっさり答えるタマ姉に、俺がツッコミを入れるよりも先に。
「うふふ、言った筈よ。タカ坊」
「へ?」
「恋する女の子を甘く見ると大変な事になるって」
クスクスと笑いながら、スッと目を細めるタマ姉。
その声に、辺りの気温が氷点下まで一気に下がった気がした。
何度目かの呼び出し音の後。
『・・・あい、向坂ですけど?』
「ゆ、雄二!助けてくれ!!?」
俺は親友であり、タマ姉の実弟、向坂雄二に助けを求める電話を掛けていた。
雄二は俺の切羽詰った声で何かを感じ取ったのか。
『コノ電話ハ現在使ワレテオリマセン。発信音ノ後ニ・・・』
「ぼくたち親友でしょううううううううっっ!!?」
音声ガイダンスの真似をし始めた雄二に、俺は恥も外聞も捨てて、涙と鼻水で濡れた受話器に泣きついた。
今回ばかりは切られたらお終いだ。言わばこの電話が俺のライフラインだ。
『・・・どうした?』
俺の必死さが受話器越しに伝わったのか、取り敢えずは聞く耳を持ってくれたようだ。
「タマ姉!タマ姉がっ!!」
『あん?姉貴?姉貴ならどっか行ったみたいだぞ」
「どっかって言うか、ううう、うちに来た!」
『は?』
「だから!タマ姉が泊まりに来たんだ!!」
あまりに無言が続くので、不安になってくると、ようやくボソッと一言が聞こえた。
『・・・・・・・・・・・・ま、頑張れ』
「そ、それだけッ!!?」
思わず受話器にツッコミをいれると、雄二が思い出したかのように言った。
『あー、そういや姉貴の奴、カレンダーに印をつけて、Xデーとか決戦とか、なんかブツブツ言ってたっけ』
「ち、ちなみにそのXデーってのは・・・・・・いつ?」
『今日』
「ひいいいいいいいいいい」
う、運命の日と書いてXデーですか!戦って決すると書いて決戦ですかっ!!?
『貴明、姉貴の性格は知ってるよな?悪いことは言わん・・・諦めろ』
「だから見捨てないでってばああああああっ!!」
「じゃあ、俺にどうしろってんだよ」
「泊まりにきて?」
俺の必死の哀願に、雄二は「無理」と即答する。て、てめぇの血は何色だぁ。
『あんな凶暴女だが姉貴を頼むぞ、兄弟』
こ、こいつ絶対に電話越しで小躍りしてやがる。
いや、ここは何としても雄二を繋ぎとめなければ。
「・・・お・・・お・・・」
だが、混乱した頭では咄嗟に言葉が出てこない。
『お?なに唸ってんだ貴明』
そ、そうだ。これなら交渉の材料になるはずだ。
「緒方理奈の最新の写真集!!」
ピタリ、と雄二が足を止めたのが気配で分かった。
だが。
『ふ、甘いぞ貴明。俺が物に釣られる安い漢とでも思ってるのか?』
そう言った雄二の声にはどこか余裕がある。くっ!すでに予約済みだったか。
『用件はそれだけみたいだな。じゃあな、貴明』
「な、ならっ―――」
『あん? 往生際が悪いぞ』
「なら、緒方理奈のすんごい写真でどうだ!!」
し・・・ん、と辺りに静寂が訪れた。
やがて、受話器からは。
『そそそ、そんなのに引っ掛かるとでも思ってんのか!? 第一、俺の理奈ちゃんは清純派で売り出している子だぞぞ』
さっきまでの余裕ある声とは反転し、動揺しまくりの雄二。よし、喰いついた!
俺はわざと声のトーンを落として雄二に囁くように小声で言う。
「アイドルヲタクのお前なら業界の汚い部分があることを知らないわけじゃないだろ?」
『ま、まさか・・・俺の里奈ちゃんに限ってそんな・・・』
ごくり。
雄二の生唾を飲み込む音が聞こえた。
『マ・・・マジか?』
ごめん、ごめんよ珊瑚ちゃん。
一日・・・たった一日だけでいいんだ・・・
人助けだと思って世界一のアイコラ職人になってくれ。
「よし、じゃあいまにでもすぐ来てくれ」
『ああ、任せとけ。例え火の中水の中、どこまでもついていくぜ、貴明』
己の死を賭してお互いの友情を確かめ合っていると。
カラーン・・・
ん?
音のした方を見てみると、何故か家の中に空缶が転がっていた。
全く、誰だよ。俺ってこういうのは許せない性質なんだよなぁ。
「悪い雄二。ちょっと空き缶が転がってるから拾いにいってくるな」
『あ、空き缶? ちょ、ちょっと待て貴明。そのパターンはどっかで・・・ひィ! もう来たぁぁぁ!?』
雄二がなにかを言っていたが、大して気にせずに転がっていた缶を拾いに受話器から離れると。
『あだだだだだだ割れる割れる割れる割れるううううううううっ!!』
「空き缶は、くずかごに、っと」
『嘘です神に誓って邪魔しませっ・・・ぎいやあああああああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛・・・・・・!!』
拾った空き缶をゴミ箱に入れると、電話台まで戻る。
「悪いな、雄二・・・・・・あれ? 切れてる?」
どうしたんだ、雄二のやつ?
「誰に電話をしていたのかしら?」
「うおおうっ!」
ふいに背後から声を掛けられ、飛び上がった。
「た、タマ姉!?」
「何よ、人をお化けみたいに」
「いやあははははは」
「で、誰に電話をしていたのかしらねぇ。タカ坊は」
「と、友達!友達だって」
間違っても、ここで雄二の名前を売るわけにはいかない。
「ふぅん。それじゃあ、夕飯の支度をするからタカ坊はTVでも見てなさい」
「え? あ、うん」
あ、あれ?変だな・・・いつものタマ姉なら、曖昧な答え方をしたらしつこく聞いてくるのに。
そう思って、首を傾げていると、ふいにタマ姉が振り返った。
「あ、そうそう」
「『タカ坊のお友達』、何度やっても電話に出れないと思うわよ」
「へ?で、出れない?」
「ましてや、病院のベッドの上じゃ、ねぇ?」
そう言うと、タマ姉は遠くを見るような顔で―――微笑んだ。
続く
月海涼秋さんから頂きました
家まで戻って雄二を瞬殺するタマ姉、恐ろし過ぎます。
大魔王タマ姉から逃げ出すことは出来ないようですね。
前後編になっていますので、後編は数日お待ちください。